カテゴリ:母の生きた証( 50 )

七回忌

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無事に七回忌が終わりました。

母との会話も
母の笑顔も
昨日のことのように思い出します。

でも6年も経ったんだなぁ。

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着物が大好きだった母。


いつも風通ししてる姿は

見ていたけど


着物を着ている姿は

私の小学校入学の時が最後。


母用と書かれている着物は

少し長めの丈に

しつらえてあり


全て

しつけ糸がそのまんま


きっと最初から

私たち娘のために

作ってくれてたんだろう。


姉達は着ないと言うので

広島まで一緒に帰ろう。


母の想いと一緒に

帰ろう。



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by chiko129 | 2017-05-08 07:05 | 母の生きた証 | Comments(0)

5年

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職場からホスピスまで自転車で1時間。

夜は、水面にゆらゆら映る街の灯りが綺麗で、
朝は、頬に当たる風が冷たく清々しくて。

毎日通ったあの道の景色や、
声に出したかった想い、
自転車を漕ぎながら泣いて泣いて泣きまくった日々。

まるで昨日のことのように覚えている。

5年、早いなぁ。



仕事を終え、母の病室を開けると、どんなに遅くても
母は起きて待っていてくれていた。
私が晩御飯のお弁当を食べる間、たわいもない会話をした。

寝る前は必ず、あれはあっち、これはこっち、と
私に指示をし、綺麗に部屋の中を片付けて休む。

母が眠りについたらソファを簡易ベッドにして泊まり、
ほとんど眠れぬまま朝を迎えた。

母の朝ごはんである白湯を飲むのを傍で見て、
母の歯磨きをしてから、また会社へ向かう。

母と居られる時間はとても少なかったけど、
毎晩顔を見ることで、お互い安心し、
また明日へと繋がる希望を確かめていたように思う。

もっと頑張れたんじゃないか、もっとやれることはあったんじゃないか。
あの頃も、あの後も、何度も自問自答したけど、
きっと私にはあれが限界だったんだと思う。

時々思い出したように、このblogを開くと、
ありがたいことに今でもblogを見に来てくださる方がいる。

中でも母の記事、ホスピスの記事のアクセスが多くてビックリする。
私もあの頃、とにかく情報が欲しくて、最善策を知りたくて、毎晩毎晩ネットで癌のこと、ホスピスのこと、必死で調べ回っていたな…と。

最後はホスピスでの緩和ケアを選択したこと。
母も私も、家族も、とても穏やかに最後の1ヶ月を過ごせたこと。

最期の一呼吸まで苦しまずに、母が「生ききった」ことが、何より良かった。

今、同じように悩む家族の方が直面する、「選択」という場面で、私の拙いblogが参考になってくられば幸いです。

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by chiko129 | 2016-10-04 08:12 | 母の生きた証 | Comments(0)

生死と向き合う

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どんな人生を送るか。
どんな最期を迎えるか。


母と一緒に向き合った、
一年。


生きること。
死ぬこと。

わかったこと
わからなかったこと。

できたこと、
できなかったこと。

まだ、
全てを受け止められないでいる。


まだまだ、
私には、時間が必要。



苦しい時も。
悲しい時も。

お空から、
キラキラと輝いて、
見守ってくれているでしょうか。


奇跡のホスピス
http://www.mbs.jp/hospice/
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by chiko129 | 2012-03-28 22:05 | 母の生きた証 | Comments(0)

半分こは、もうできない

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パンやケーキを買った時は。

いつも母と半分ずつ。
二倍の味を楽しめた。



今は何個でも独り占め。

でも、
何個食べても、悲しみは消えない。






日々の生活。
リズムも出来てきた所で、
年度末の残業。

毎晩、23時半頃に帰って来て、
それから家事をしていましたが、

背中がカッと熱くなったり、体が震えたり、
胃がキューっと痛んだり。

どうにもこうにも、
体が悲鳴を上げてきました。

姉に無理を言って、
先週は、一日晩御飯を作ってもらいました。

ありがたいことです。



父は放っておいても、好きな物を作って食べてくれるのですが、
もう歳だし、偏った食事で、今以上に血圧や血糖値が上がっては、
と心配。

更には、私の不在の間に倒れてたりしたら・・・と
色々考えてしまいます。


過剰に心配しすぎかもしれませんが・

母が突然余命を宣告されたように、
明日にでも、父が居なくなってしまうかも、
と不安になることがあります。

同じ屋根の下に住んでいるからこそ、
色んな不安が付きまとう。




母には、申し訳ないけれど、
母の癌がわかった時から、母の運命は決まっていました。

どんな治療をしても、どんな介護をしても、
遅かれ早かれ、一年の命だったのだと思います。



生きる意味や、死ぬ意味。
生きていく意味や、生き抜く意味。

色んな事を考え、悩んだ一年。



母の苦しんだ一年は。

残された、私の為の一年だったのだと、
今になって思います。



母が居なくなっても、私がちゃんと生活できるように。
母が亡き後に、独りでも生きていくために。

ちゃんと一年間、見守ってくれていたんだと思います。



だから、私も、
母が最期の最期まで頑張って生き抜いたように、
懸命に。

生き抜かねばなりません。
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by chiko129 | 2012-03-18 22:25 | 母の生きた証 | Comments(0)

百か日

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百か日。


泣き悲しむのを止め、新たな生活のスタートを切る日。



月日が経つのは、本当に早いです。





今も。

後悔したり、負い目を感じたり、
悲しみに沈む時もあるけれど。




母が、
生きた証を、しっかりと私の胸に焼き付けて、
人生を終わらせたように、

私も、
私の生きる証を、これからの人生に、
刻んで行かねば、と。


百か日。

ひとつの、区切りとして。
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by chiko129 | 2012-01-10 23:22 | 母の生きた証 | Comments(0)

ひと区切り

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無事、
母の四十九日が終わりました。


この49日間、
毎日、遺影の前で手を合わせたし、
七日ごとの法要も、しっかりお経を読んでもらったので、

きっと閻魔大王も、よっしゃ、こんでエエ、と
母を極楽浄土へと、向かわせてくれたに違いありません。



今でも。

無くなる数日前の、母の顔を思い出します。

もう、一人では歩けなくなり、看護師さんに抱きかかえられて、
車いすへと移動する時。

涙で潤んだ瞳が。

ほほ笑みながら、看護師さんを見つめる、その瞳が。


まるで、赤ちゃんのように、可愛らしかったことを、
毎日、毎日、思い出します。


きっと人は。

赤ん坊から、大人へ成長し、

そして、
大人から、赤ん坊へと、
戻っていくのでしょう。



ひとつひとつ、身の回りも片付き始め、
あんなにも忙しかった毎日も、
落ち着きを取り戻しつつあります。


ぽっかりと空いた心も。
いつまでも消えない、悲しみも。

いつか、
嘘みたいに、穏やかになる日がくるのでしょうか。


・・・。



今日も、母の写真の前で、
手を合わします。


お母さん、早く私を迎えに来てね、と。
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by chiko129 | 2011-11-22 00:16 | 母の生きた証 | Comments(2)

そして、母からの手紙

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一週間が経ちました。




今日は、父とホスピスへお礼を兼ねて、ご挨拶に。


院長先生が、

「最期まで、ソファで過ごされて、良く頑張っておられました。
しっかりされた方でしたね」

と、おっしゃってました。

亡くなる前に、托された手紙を、院長先生にお渡しすると、
ビックリされた様子で、

「本当に、しっかりされてますね。
 きっとご本人様が一番しっかりされてましたね。」

と。



担当看護師のNさんにも、後でお会いし、
母から預かったNさん宛の手紙と、
入院中に一生懸命作っていた和布の人形、
そして私からNさん達 看護師さん宛の手紙をお渡しすると、

Nさんも、すごくビックリされて、涙を流して下さいました。



余命わずかな時間に、お世話になった人達へ、
きちんと手紙をしたためていた、母。

きっと、誰もが、自分のことで精一杯になってしまうだろう時期に、
周りへの感謝の気持ちを忘れていなかった、母。

本当に、最後の最後までしっかりしていました。



それも全て、ホスピスに入ったからこそ
出来たことだと思います。

治療への迷いや苦しみを捨て、
穏やかな気持ちで、死を受け入れられたのでしょう。




帰り道。

この一ヶ月。

仕事帰りも、休みの日も。
ひたすら通い詰めた病院までの道のり。


もう、この道を歩くことはないのだな、と。




家で、家事をしながら母の相手をしたり、
常に様子を見られるのとは違い、
病院通いは、体力的にも精神的にも辛いもの。

入院が決まった時は、近くの病院とは違って、
通うのも大変になってしまう・・・と不安も大きかったけど。



毎日毎日、泣きながら通ったこの道で、
最後にまた、涙が止まらなくなりました。

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by chiko129 | 2011-10-12 21:59 | 母の生きた証 | Comments(0)

母への手紙

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10月4日 23時25分
母は天国へと旅立ちました。

亡くなる前、
いつもアロママッサージの時に聴いていた音楽を流していると、
曲の最後とともに、深いため息のような呼吸をしました。

ふと。
次の呼吸が最後かも…と思った時。


ユックリと、浅い呼吸を三つ。


最期まで、苦しむことなく、穏やかな表情で、
静かに息を引き取りました。






お家に帰ってから、親戚、近所の方が
次々とお線香をあげに来てくれました。

とある人に。

私がお嫁にもいかずに、お母さん気の毒やね、と。


でも。


一緒に住んでいたからこそ、

私は誰よりも長い時間、
母の傍に居られたし、
母のお世話をすることができた。

怖い思いをした夜の後、私が来るのを待ちわびてくれたし、
胸が苦しくて不安だった日も、私が一晩中付き添えた。

最後に発する母の声を、この耳で聞けたし、
最期の夜も、私が一晩中見守ることができた。

同じ屋根の下で、
苦しみも、悲しみも、一緒になって感じ、
二人で涙を流すこともできた。

だから、きっと。

母は私を必要としてくれてたんだ、と。



辛く苦しかった一年間。

ホスピスに入院する時、
私が願っていたとおり。

最期は苦しまずに、いることができて、
本当に本当に、良かった。

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by chiko129 | 2011-10-08 22:45 | 母の生きた証 | Comments(0)

眠る

今朝から、昏睡状態に。

仕事を早めに終え、病院へ。

眠っている母の手を握り、

おかーさん、chikoだよ

と声をかけると、

chikoちゃんかぁ〜、大きくなったな〜、と(笑)


ずっと眠り続けてるので、昨夜付き添いだった父は、
もうこのまま息をしなくなるのでは?と
随分心配な様子。

でも、呼吸も表情も穏やか。
きっといい夢を見てるのだろう。


祖父が痴呆になった時も思った。

眠り続けたり、訳のわからない返答があると、
見てる側は心配になるけど、

日々衰えを、身をもって実感し、
その現実と向き合っている時こそ、
本人にとっては、何より辛く不安なこと。

その苦しみや悲しみから開放されるためにも、
眠り続け、記憶を無くすのだろう、と。

現実を忘れること。

それが一番の幸せなのかもしれない。


今は夢の中、
ユックリ休んでくれたら、と。
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by chiko129 | 2011-10-03 23:50 | 母の生きた証 | Comments(0)

目が覚めた時に

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病室で、ちまちまと。




プリザのトピアリー。


長い間、ずっと作りたいなぁって
思っていたアレンジ。


可愛過ぎて、おもわずニンマリ。

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by chiko129 | 2011-10-02 21:10 | 母の生きた証 | Comments(0)